羽田澄子監督『鳴呼 満蒙開拓団』一般公開迫る!
―-―岩波ホールで6月13日~7月末まで上映――
理事・事務局長 大類善啓
製作本数90本以上、50年以上に亘ってドキュメンタリーを撮り続けている羽田さんは近年、老人の福祉問題を追及、2007年には終末期の医療をテーマにした記録映画『終わりよければすべてよし』という作品を発表、これも大きな反響を呼んだ話題作を提供した。
羽田さんは、旧満州の大連に生まれた。お父上が女学校の教師ということもあって、旧満州では各地で過ごしたが、小学校と女学校は旅順である。戦後の大連では、「大連日本人労働組合」の婦人部に入り活動した後、1947年大連から日本に引き揚げてきた。引揚者でごったがえす大連港から日本に向かう時、羽田さんは旧満州にいた多くの日本人が、こんな混乱の中、本当にみんな帰ることができるのだろうかと思っていた。しかしその疑問も、戦後の厳しい時代を生きるのに必死だったこともあり、また日常の生活の中で薄れていった。
ところが、1980年代になって、「中国残留日本人孤児」の来日調査が始まったというニュースがマスコミを賑わした。旧満州でも最南端の大都会で暮らしていた羽田さんは、戦後、北満と呼ばれていた地で起きていたことを知らずにきた。羽田さんは思った。「やっぱり日本に帰れなかった人たちが大勢いたのだ」
2002年に中国「残留孤児」国家賠償請求訴訟が始まり、羽田さんは裁判を傍聴、カメラを回した。そんな時、方正友好交流の会が発行する会報「星火方正」を知り、初めて、ハルピン市郊外の方正県に日本人公墓があることを知った。
侵略した日本人たちのお墓を、侵略された中国政府が建立する。こんなことがあるのだろうか。羽田さんのその時の率直な感想である。
映画の冒頭、会報の「星火方正」1号と2号が紹介され、タイトルが出る。方正を何年ぶりかで訪れるかつての開拓民だった人たち、その人たちへのインタビューを通して、国策として駆り出された開拓民たちの苦労と敗戦前後からは始まった地獄のような体験が蘇ってくる。
方正友好交流の会は、この映画製作にはコーディネイターとして参与の奥村正雄が参加、会も協力することができた。エンドロールには会の名前も流れる。
私のところには、開拓民だった人たちから、若い世代に自分たちの体験を映像で伝えることができて嬉しいという声も寄せられている。東京以外の方々には、今のところ一部の映画館で上映される他、自主映画会を組織して見ることが可能である。その場合は、1日のフィルムの貸出費用が15万円である。
ともあれ、日中近現代史の認識を深めるためには必見の映画であるといえるだろう。



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